TIMESCAPE INTERVIEW

2019.11.20
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INTERVIEW 03

中村久二/設計者

NAKAMURA KYUJI

およそ50年前に先代の中村善一氏が、九州で先駆けて造園設計の仕事を始めたのが、現在の『ZEN環境設計』の始まり。アイランドシティ、シーサイドももち、天神中央公園をはじめとする天神地区のパブリック施設、海の中道海浜公園、北九州市の紫川開発など、福岡の都市景観を語る上でなくてはならないエリア、私たちが普段当たり前に目にしている風景のプランニング、ガイドライン策定をしてきた設計会社だ。現在、代表として同社を牽引するのが、お話をうかがった中村久二氏。九州を代表する設計者、ランドスケープ・アーキテクトとして、現在も第一線で活躍する中村氏にインタビューする機会に恵まれた今回。さまざまな空間や景観を生み出す発想の原点や、仕事に対する想い・向き合い方、斬新な建築理論について、分かりやすい例え、ユーモアを交えながらお話しいただいた。


Vol.01 僕が設計者を志すまで。

「もともと、僕は25歳ぐらいまで音楽や映像、イベントプロデュースに関わる仕事を東京でしていて、『そんな遊びみたいなことしとらんで、家業を手伝え』って父親に怒られましてね」と、笑いながら当時を振り返る中村氏。カリフォルニア大学ロサンゼルス校でファインアートや建築について学びながら、アメリカ西海岸のカルチャーに触れたのが、音楽や映像にそれまで以上に深くハマったきっかけだという。
「僕がロサンゼルスに留学した年は、ちょうどPOPEYEの創刊号が発行された時で。ライターをアテンドや写真を撮るアルバイトをしたり、楽しかったですね。YMOのライブのお手伝いをしたりもしたな〜」と中村氏は感慨深げ。「実は、設計やランドスケープの仕事に就こうとは思っていなくて。ただ、親が留学費用を払ってくれて、ロサンゼルスまで来て勉強させてもらっているわけだから、設計者にはならないなんて口が裂けてもいえない」と笑って続ける。

そんな中村氏だが、『ZEN環境設計』のいちスタッフとして働き始め、ランドスケープや設計の仕事に、おもしろさを感じるきっかけになったプロジェクトがあったという。それが伊万里市にある、『鍋島藩窯公園』だ。「20代後半だったかな。最初は古伊万里の美術館を設計する予定だったんだけど、諸事情でできなくなって。それで公園を創る方向にシフトチェンジしたんです。一から十まで、自分が仕切ってやってみると、“曲順を決めて、フィルムを作って、ポスターを製作するといった音楽や映像の仕事と変わらないぞ”っておもしろくなちゃって。今もそうですが、仕事は楽しいものじゃないと自分自身が続かないから、これならやっていけるって直感的に感じたんですよね」。
実際に中村氏が手がけた『鍋島藩窯公園』の完成を機に、同地への観光客が1年間で10倍になったという実績が生まれたこともまた、おもしろさを加速させる一つの要因になったのだろう。

中村氏は、「今でもそうですが、音楽が大好きで、音楽がないと生きていけない」と言い切るように、プランを練ったり、スケッチを描くときは、好きな音楽を聞きながら作業を進めることも多いという。次項ではそんな同氏の“設計者としての今”に迫っていこうと思う。


Vol.02 設計者としての今。

「人を楽しませられる空間」が大切と語る中村氏。言い換えれば、来た人に喜んでもらえる空間を作ることだというが、“楽しい”“良い”と感じるモノ、コトは、人によってさまざまだ。その点について中村氏は、「まず、デザインとアートは違います。それを説明するのはとても難しいけど、僕らがやっている空間やランドスケープのデザインには、往々にしてクライアントがいますよね。クライアントが何を求めているのかを的確に読み取って、そのための案や解決方法を導き出すことが僕らには求められる。その、“何を求めているか”という点に関しては、もちろんいろいろある。純粋に、“こんな空間で、こういう人たちを呼び込んで、これぐらいの収益を上げたい”とかね。そういった場合は、ある程度、今までの経験の積み重ねがあるから、方向性を間違えることはあまり多くない。一方で、ブランドを作りたい、ブランド力を高めたいっていケースもある。そんなときこそ、クライアントの想いや意向を、どれだけ的確に汲み取れるかが大切になってくると思っていて」と教えてくれた。

さらに、こうも続ける。「仕事によっては、安全面、保守管理、周辺環境への配慮などの観点から、こっちはこうした方が良い、でもあっちもああした方が良いというような、“あれもこれも”求められる場合があります。それにすべて応えて、無難にまとめようとすると、どうしても“幕の内弁当”みたいな状態になってしまう。みんながある程度満足できるものを作れるかもしれませんが、空間として人を惹き付ける力があるかというと、答えはNOです。例えば、とある公園を造ったとして、10人全員が“ここは文句なしに素晴らしい”なんていうことはありえなくて、それは仕方のないことなんです。ただ、小さな子どもが楽しく遊んだり、ご年配の方々がベンチでのんびり過ごしたり、幅広い年代の人々がそれぞれの楽しみ方をしてもらえたら、それが正解だと僕は思っていて」。

クライアントが何を求めているかをまず読み取り、要求にも応えながら、一方で、空間としての魅力が最大限発揮できるよう、デザインしていく作業。アーティストではなく、1〜100まである要求を制御しながら、さまざまな人に影響力を与えることができる空間を創造していくのが設計者、ランドスケープ・アーキテクトというわけだ。

おもしろいエピソードがある。かつて、路面電車・福岡市内線が天神地区を走り、それを廃止するとなったとき、都市計画の設計を任されたのが『ZEN環境設計』だった。自動車が広く普及し、所有する家庭も増え始めた高度経済成長期の真っ只中の1975年ごろ。もちろん、天神地区の自動車の交通量も著しく増加した時代だ。「行政からは車道を広くするという案が上がりましたが、半ば強引に、幅が8m以上ある歩道を造ったんです。その大きな理由は、そこに住む人、暮らす人が人間らしい生活ができるような街を形成する必要があると考えたからです。つまり、人が中心の街づくりですね」と中村氏。当時、天神・大名エリアは住宅地だったが、そのような街づくりを行ったことで、商都の中心は呉服町から天神へとシフト。

まさに、この過去の実績の一例こそ、中村氏が語る「人を楽しませる空間」を体現しているのかもしれない。


Vol.03 仕事と遊び。

『ZEN環境設計』が事務所を構えるのは、東区箱崎、旧唐津街道沿い。江戸時代、参勤交代に使われた道で、箱崎は筑前21宿の一つに数えられる宿場町として、当時は大いに賑わいをみせたそうだ。

中村氏の祖父の代まで、この地で造り酒屋を営み、その建物を現在、事務所に活用している。「一昔前は赤坂のオフィスビルに事務所を構えて、たくさんの社員を抱えていたんだけど、そのためにたくさんの仕事を請けるというやり方に、ちょっとくたびれてしまいまして。自分の目が届く範囲で、楽しいと思える仕事だけをやっていこうと決めて、箱崎に事務所を移転しました」と中村氏。

オファーが絶えずくる状況にありながら、自らミニマムなスタイルへシフトチェンジしてしまうのも、仕事に対して、“楽しさ”や“おもしろさ”、“出逢い”を大切にする中村氏らしい。

建物は築160年以上。インタビューさせていただいた構想室と銘打った一室は吹き抜けになっており、昔ながらの柱や梁が残る重厚な雰囲気。元々、造り酒屋時代、季節従業員が寝泊まりしていた屋根裏のスペースは現在、中村氏のプライベートスペースになっており、一人になりたいときなどに利用しているのだそう。

「僕が生まれた年に植樹したソテツがあるんだけど、すごい大きいんですよ」と、特別に事務所の裏手にある庭にも案内してもらった。見上げるほど大きなソテツ。ここまで大きなソテツは今まで見たことがない。

「このあたりは造り酒屋や醤油蔵、染物屋がたくさんあったぐらいだから、地下水が豊富なんだよね。だからかな、こんなに大きくなっちゃって(笑)。気候が良い季節はこの庭でBBQをしたり。地域の催しがあるときなどは、駐車スペースにしている場所を開放して、自由に使ってもらったりもしています。私有地ではありますが、とくになんにも活用していないから、そういう機会に使ってもらえるのは、大歓迎です」と、中村氏はおおらかに笑う。

自身が楽しみながらできる仕事を、良いクライアントと一緒に創り上げていく。ここ20年以上中国をはじめアジアの仕事が増えているのも理由がある。「僕は街を歩くのが好きなんです。とくにアジアの街を歩くのが楽しい。現在のアジアの国々の経済の成長スピードは著しいものがあります。その発展過程を目に焼き付けておきたい。街を歩くだけで、いろいろなことが見えてくるんです」と説明してくれた。

デッサンを描くときや、プランを練る際は好きな音楽をBGMに机へ向かい、筆を走らせる。アジアに足を運んだときは、時間が許す限り、知らない街を歩く。普段も街を歩きながら、その風景が生まれた理由を考える。プライベートではお酒を嗜み、ときには家族や仲間と庭でBBQを楽しむ。それらすべてが、中村氏のアイデアや創造力の源になっているのだろう。何気ない話のなかにも、そう感じさせる高い考察力を垣間見ることができた。


Vol.04 LANDICと中村久二。

『ZEN環境設計』はランドスケープやパブリックな施設を中心に活躍してきたイメージが強いが、中村氏は「博多廊」、「寿司麻生 平尾山荘」、「白金茶房」、「住吉酒販 東京ミッドタウン日比谷」など、空間デザインの素晴らしさも高い評価を得ているレストランやショップの実績も多数。さらに、沖縄の「カフーリゾートフチャクコンド・ホテル」、中国の「ハイアット リージェンシー 貴陽」のレストラン・ロビー・ランドスケープの設計などホテル関連のプロジェクトにも多く関わってきた。

そんな中村氏は、「モノを作るということに関して、建物でもなんでも、みんなで作るという点ではすべて同じ。SUPPOSE DESIGN OFFICEの建築家・谷尻さん、吉田さんと一緒にお仕事するのはもちろん初めてですし、LANDICさんとも初。そんな初めてづくしの関係性ではありますが、今回はSUPPOSE DESIGN OFFICEさんの想いを大切にしながら、プロジェクトに関わっていけたらと思っています。もちろん、僕の経験上から感じる部分は、しっかりお伝えします。谷尻さんも吉田さんも、そして私もそれぞれに意見やアイデアがあるから、ただ単にそれをミックスさせるのではなく、良い部分を“融合”させていく作業が必要になります。お互いの知恵を固めていくというイメージでしょうか。グラフィックの世界でも同じでしょう?ライターさんが文章を書いて、カメラマンさんが写真を撮る。それをデザイナーさんが一つに仕上げて。それぞれの主張や役割を融合させることでいい誌面になる。空間も建物も同じ考え方です」とわかりやすく説明してくれた。

さらに、人の印象に深く残る条件としてこう続ける。

「メディアチャンネルが少ないものの方が、確実に人の記憶に残ると考えています。情報が多すぎると、それを見たり、体験した人の解釈に大きな差ってほとんど生じない。文章や音楽がいい例で、文字や音しか存在しないメディアなので、そのときの情景や気持ちまで思い出として残っていくと思うんです。情報が少ないと体験した人の想像力が加わる。つまりそれだけ、思い出深い体験になるということ。今回のホテルプロジェクトでは、そんな部分も重要になってくるでしょうね」。

現時点では、3つの棟からなるホテルを想定していることから、中村氏は中庭をはじめとする、中間領域の重要性を説く。

「来た人を拒まず、ウェルカムな空間というんでしょうか。今回のプロジェクトは谷尻さん、吉田さんが“アート”をキーワードにしていることからも、そういった分野に興味がある人が自然と集まるような場所にできたらいいと思っています。また、西中洲という立地を活かすのも重要。商業の中心である天神、九州一の繁華街・中洲のちょうど中間という場所であり、かつ情緒に溢れる、おしゃれなエリア。食べること、そうつくこと(ぶらぶら歩く)も環境的に一切不便がない。さらに、中州の突端であるため、風が通り、隣りには川が流れ、奥に目を向けると海が見える。さらに、高い建物が周りにないため、景色が担保されている。この好条件を活かさない手はない」と、立地特性についても触れる中村氏。

「仕事は楽しく、気持ちいいものでないといけない」「顔を合わせて、話をするなかで、お互いにプラスになるものを掴まないともったいない」「注文はつけていい。ただし、いいアイデアを壊すのはNG」「みんなで知恵を出し合う」など、中村氏には仕事の進め方にも明確な流儀がある。そんな柔軟で、ワクワクするスタイルを貫く同氏が関わっていくプロジェクトに、期待が膨らむ一方だ。

PROFILE
中村久二
プロフィール画像
1954 年福岡生まれ。UCLAカリフォルニア大学ロサンゼルス校環境デザイン大学院卒業 Master of Arts。株式会社ZEN環境設計代表取締役。
アイランドシティデザインガイドライン(福岡)、シーサイドももちセンタープラザや地行中央公園などのパブリック設計(福岡)、博多港中期ビジョン「福岡市港湾計画」(福岡)、貴陽住宅地マスタープラン(中国)、博多まちづくりガイドライン「博多駅一体」(福岡)、天神地区の開発デザイン(福岡)、北九州市の紫川開発 (福岡)、海の中道海浜公園マスタープラン・基本設計(福岡)など、都市計画・ランドスケープに関わる実績多数。
博多廊(福岡)、寿司麻生 平尾山荘(福岡) 、IMDスクエアー「白金酒店・茶房」(福岡)など、空間の美しさも評価されるレストランやホテルも数多く手がけている。

[photo]Hiroto Sakaguchi[EGG STUDIO inc.]

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